日本刀の魅力

日本の美術品の中でも古い時代から研究されて、鑑定の体系が最も整っているのが刀剣と言われています。鑑定方法は室町時代には発生していたと推測されます。

平安末期から鎌倉初期にかけて刃文が技巧的となっていることから、研磨技術もそれに呼応して進歩し「鑑賞に耐える研磨」が行われていた事を示唆しています。

日本刀の作刀期間は1000年に及び、我が国の世界に誇れる文化財であるとともに、歴史にも深く関わっています。

三種の神器に剣があることから刀剣は神聖視され、古代より寺社に盛んに奉納されており現在でもその習慣は残されています。

時の天下人は挙って名刀を求め収集しました。特に織豊(安土桃山)時代において恩賞に用いられた事から、名物などが生まれました。

時代の流行や戦闘様式によって姿などが変化しており、当時の最先端製品であった事。

 

近世以降の平和な時代は、支配者階級である武士のみ刀の所持が認められた事から権威の象徴となり「刀は武士の魂」として重要視されました。

武士の魂としての扱われる一方で平時は実用よりも華美が求められました。その結果、江戸の元禄以降は町彫りの優れた金工が多数出現し、刀装具の名品が多数製作されました。

明治の廃刀令直後は腰に棒を差して刀の代わりにしたという逸話も伝わっています。不平士族の反乱の遠因としても廃刀令が考えられます。

俸禄廃止は経済的困窮ですが、廃刀令は精神的支柱を奪ったと考えられます。

 

刀剣に関わる言葉も多く、現在も語源はさておき日常で当たり前のように使っています。

明治初期までは、刀は日本人にとって馴染み深く、特に刀は侍の権威の象徴でした。(脇指は庶民も自由に所持でき、旅行時は帯刀も許された)しかし廃刀令以降は急速な西欧化にともない。無用の長物となり、破棄され、手入れをされず朽ち果てる、あるいは海外に流失した名刀も計りしれません。

明治中期には新規の作刀全くないといっても良いくらいで、僅か数人の刀鍛冶しか残りませんでした。

第二次大戦中は国威発揚と復古論からサーベルを廃して、太刀形式の軍刀を採用した事で鍛刀界が再び息を取り戻し多くの刀が製作され戦場に供給されました。戦後はこれが災いして軍国・愛国心の権化、危険な武器という理由でGHQによる刀狩りが行われて廃絶の危機に瀕しました。

日本刀は世界最強の近接兵器かという疑問が付いてまわりますが、古くは和寇も日本刀を使用し猛威を振るった事(相手方である明の資料にも脅威であるといった記述がある)GHQが戦後に刀狩を行ったことなども含めてですが、総評は使い手を選ぶ武器であるが、近接兵器として非常に優秀であるという結論になると思います。

 

日本刀の美しさは世界で稀な存在です。通常は外装を飾ることを重視していますが日本刀は違います。刀身を飾るのです。刃文や地肌の働きがそれであります。映りや足、丁子乱などの多数の技巧的な刃文があり、しかもそれらは実用に照らして合理的な物でなくてはいけません。これは決して折れず曲がらず良く切れるを目標として、当時の戦闘方法と照らし合わせて刀匠が苦心した結果です。機能美が集約された洗練された工芸品です。

 

日本刀において外装を飾るようになったのは安土桃山時代位からです。それ以前は実用重視の簡素で頑丈な物です。
刀装の美も素晴らしいです。鍔などは小さいですが一枚の絵画に匹敵する世界が表現されています。
明治時代には、金工の技術は輸出用工芸品に転用されて、それらの作品は現在でも高い評価を得ています。

 

武器として怖がられる事もありますが、多角的に考察する事によって世界で稀有な鉄の美術品としての存在、実用の美をご理解頂ければ楽しんで観刀頂けると思います。

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