後藤家

後藤家は刀装具小道具のもっとも有名で権威ある家柄です。初代祐乗が室町後期に現われてから江戸時代が終わるまでの400年間、宗家や分家などが金工界をリードして行きました。分派したのは5代徳乗からで14家に分かれていきました。これら分家を脇後藤などと現在呼んでいます。 分家には後に金座や分銅役所の預かりとなったので、経済や財政にも大きく関わっていくことになりました。

後藤家にいえることは作品は小柄、笄、目貫のいわゆる三所物がほとんどで、縁頭や鍔はほとんどありません。三所物以外は徳乗以降が手がけるようになります。地金は赤銅を使うことがほとんどです。まれに四分一があるくらいです。

 

後藤家の系図

後藤本家

初代祐乗二代宗乗三代乗真四代光乗五代徳乗(四郎兵衛) 

四郎兵衛宗家 ・・宗家を継承しました。

五代徳乗六代栄乗七代顕乗八代即乗九代程乗

十代廉乗十一代通乗十二代寿乗十三代延寿

十四代桂乗十五代真乗十六代方乗十七代典乗

 

宗家17人

祐乗(1440〜1512)
名前は四郎兵衛尉と称し美濃国出身といわれています。近江国に領地を与えられて足利義政に仕えました。入道し祐乗と名乗り、以来後藤宗家が入道すると乗を付けるようになりました。

祐乗は旧来の美濃彫りを集大成して格調のある後藤彫りを創始し、これが今日の刀装具の基本となりました。名工ですが現存品は少なく、若干数が前田家に伝わっています。

祐乗には在銘品はなく、すべてが後の後藤家に極められた物だけです。出来が良く、古雅がある物が伝祐乗となっています。


宗乗
(1461〜1538)
名は二郎、宗祐とも名乗り40歳で入道し宗乗を法号としました。父同様に足利家に仕えました。作風は父の業績を受け継ぎ基礎を築きより格調高くしていった名工です。やはり在銘品はなく、作風も祐乗に似ます。伝宗乗といわれている物は一級品ばかりです。


乗真
(1512〜1562)
名は四郎兵衛。将軍義春、義輝に仕えました。彼は武人でもあったらしく作風も力強いです。最後は戦死したと伝わっています。


光乗
(1529〜1620)
名は亀市のちに四郎兵衛となります。織田信長に仕え、入道し光乗となりました。1581年に信長より大判、分銅の役職を与えられ引き続き秀吉からもこの役を与えら、財政に関わりました。

作風は祐乗、宗乗を基本としています。在銘品がわずかにあり前田家に現存しています。技法は鋤下彫りです。


徳乗
(1550〜1631)
源治郎といい、のちに四郎兵衛を襲名して宗家となります。また折り紙の発行も徳乗から始まった説が有力で元和頃の折り紙が現存最古の後藤折り紙となっています。金工の腕も一流でした。また徳乗から鍔の製作も始めたようです。技法もうっとりから蝋付け色絵になりました。


栄乗
(1577〜1617)
この時代は豊臣家の没落とも重なり同家に重用された後藤家は苦難の時代でしたが、徳川家に抱えられて危機を脱しました。栄乗もまた名人と評価できます。少し短命で父より早くなくなっています。

鑑定上この6代目までを区切りとしています。皆、名人で現存品は少ないですが桃山の気風、品位がある作品が伝わっています。確かに博物館等にある物はこの6名の作品が多いと思います。次のページは7代〜17代までの解説です。