歴史上著名な刀剣
国宝(名物童子切安綱) 太刀銘 安綱 長さ79cm 反り2.7cm
踏ん張りある姿で小切先で刃文は沸出来の直刃小乱で小板目肌。製作から千年たつが健全。
源頼光が丹波国の大江山に住んだ酒てん童子を征伐した時に使用したと言われている。足利将軍家から豊臣秀吉、徳川家康、秀忠と伝わりその後、忠直に渡ったが乱心の為に松平光長に渡り伝来し終戦後に国が買い上げた。天下五剣の一つ。
御物 鬼丸国綱 太刀 長さ79cm
粟田口国綱の作品で、太平記によると北条時頼が病の時に、枕元にこの太刀を置いていたところ強風が吹き倒れたときに近くにあった鬼面にあたり、真っ二つに切った。その時から全快に向かったので鬼丸と名が付き宝刀として伝わった。
のちに鎌倉攻めをした新田義貞に渡り、義貞が戦死した後は足利尊氏が入手し以後、秘蔵された。のちに織田信長に贈られ、更に豊臣秀吉に渡り、鬼門よけの意味を込めて京都の本阿弥光徳に預けられた。光徳は後に家康に献上したが元品は本阿弥家が保管していた。後に明治天皇に献上されて現在に至る。天下五剣の一つ。
国宝 名物 三日月宗近 太刀 長さ79cm 反り2.7cm
徳川家伝来の名刀で気品に満ち溢れ手元に強い踏ん張りがある。三日月の異名は、刃縁に沿って続く打ちのけがあたかも三日月のように見えることから付けられた。天下五剣の一つ。
国宝 名物 大典太 太刀 銘、光世作 長さ66.1cm 反り2.7cm
光世は筑後の刀工である。この太刀はもともと足利家の重宝として伝承されたものであり、後に秀吉に渡りその後、前田家の宝刀になった。作風は古い九州物も特徴が現われており、刃文は浅くのたれて、幅の広い樋が見事に彫られている。享保名物帳記載された天下五剣の一つ。この太刀も病気を治したという話しが名物帳に記載されている。
重要文化財 名物 数珠丸恒次
青江恒次は五月番鍛冶をした名工である。数珠丸は日蓮上人が身延山に入る時に信者より贈られてたもので、常に数珠を付けて、破邪の太刀として佩いていた。享保名物にも記載されている。天下五剣の一つ。近年では古青江の恒次ではなく古備前恒次が作者であると言われている。
国宝 名物 へし切長谷部 刀銘 金象嵌銘黒田筑前守長谷部国重 長さ65cm 反り0.9cm
もとは織田信長の愛刀で茶坊主が棚の下に隠れたのでこの刀でいとも簡単に斬ったのでへし切と名前が付いたと言われる。後に黒田長政に贈られた。この刀は大磨り上げで身幅広く、大切っ先となり、極端に反りが浅い異風なもので豪壮である。享保名物牒に記載されている。
国宝 日光助真 太刀 銘、助真
重要美術品 名物 にっかり青江 無銘伝青江
国宝 名物 大包平 太刀 銘、包平 長さ89.2cm 反り3.5cm
国宝 名物 岡田切り 太刀 銘、吉房 長さ70.8cm 反り2.1cm
国宝 名物 大般若長光 太刀 銘、長光 長さ73.6cm 反り2.9cm
鎌倉時代の堂々たる猪首切先で大丁子乱で匂が深く足入る。僅かに疲れがあるが長光の最高傑作であろう。足利義輝から三好長慶、織田信長、姉川の戦いの戦功により徳川家康、長篠の戦の功により奥平信昌に渡った。名前の由来は代付け600貫であったので大般若心経600巻からとられた。
国宝 名物 小竜景光 太刀 銘、備前国長船住景光 長さ73.9cm 反り3cm
御物 名物 鶴丸 太刀 銘、国永 長さ78cm
平安時代の作でありながらうぶ姿で健全、五条兼永の子の作品、山城物としての最高傑作の部類である。伊達家伝来品で後に明治天皇に献上された。
国宝 名物 包丁正宗 短刀 銘、無銘 伝正宗 長さ21cm
名物 太鼓鐘貞宗 短刀 銘、無銘 伝貞宗 長さ24.5cm
工事中です。たくさん追加します。